伴野豊公式サイト:サク・サケ・サカス

自然への畏怖


十一月十二日、火曜日。
冷えますね。12月の気温らしいですね。残念ですが、秋は短くなってきてますね。
ところでフィリピンの台風、凄まじいですね。心からお見舞い申し上げます。報道を見るにつけ、3.11を思い起こしてしまいます。
自然が荒れ狂った時の「畏怖」と自然が平穏な時の「感謝」。今一度考えさせられます。人類の生き方が問われているとも思います。
生きとし生けるもの、自然と共に生きる以外の選択肢はないと思います。

人は生かされている

自然の猛威を目の当たりにするにつけ、改めて「人は生かされている」と思います。自分の力で「生きている」と言いたいけれど、自然を前にしますと、「生かされている」としか思えません。「生きている」というのはおこがましく、謙虚に様々なお蔭で「生かされている」と。
3.11の後にもそうしたお話しが様々なところでありました。その他には「人は一人では生きていけない」「人の中でしか生きていけない」というのもありました。
今日も「生かされている」ことに感謝し、今日をシッカリ生き抜いて参ります。


止まない雨はない


十月九日、水曜日。
明け方にかなり強く雨が降りました。今はもう上がっていますが、雨音で目が覚めたくらいですから、かなり強く降ったのだと思います。地面もシッカリ濡れています。時折大きな音をたてて風が吹きます。台風の影響ですかね、一日中、降ったり止んだりの天気のようです。
本日は、知多半島のみならず、名古屋市内も合わせてご挨拶に伺います。立ち往生するような雨に遭遇しないことを願いつつ出発します。

かけがえのない友たちと

友人三人と偶然話しをすることが出来ました。一人は大学時代の友人で天才肌。一人は高校時代の友人で努力家タイプ。一人は中学時代の友人で両面持ったタイプ。いずれも学生時代からの友人です。話し出してすぐにその時代のノリに戻れるのがありがたい。
三人のタイプはそれぞれ全く違うのですが、共通点も多いのです。三人とも会社を経営していて、かれこれ二十年前後になること。一代でここまで来たこと。それなりの従業員を抱え、いつも大変そうなところ。「いつもピンチ」と笑う一方で、しぶとく図太く修羅場を生き抜いてきた自信が、笑ったシワに垣間見ることが出来るところ。「先々月は本当にダメかと思ったよ」と、さらに大きな声で笑うところ。「これからも無理しない範囲で応援するから頑張れ」と言ってくれるところ。本当は無理してくれているところ。かけがえのない友人であるところ。心から感謝しております。


朝の蜘蛛

台風情報を収集しつつ…


九月四日、水曜日。
蒸し暑さは残るものの、随分過ごし易くなりましたね。陽の光も優しく柔らかになった気がします。雲は激しく変化していますね。少しの時間で、表情が違う。今日も相当気まぐれな一日となりそうです。
今月は時間の許す限り、知多市に入ります。台風情報を収集しつつ、準備が整い次第出発致します。


自分で自分を励ます


さっきから、部屋の壁の蜘蛛が気になってます。確かお盆の8月13日だったかにも「朝の蜘蛛」を見ました。その時は窓の所でしたが。お盆の時は、亡き父が戻って来たのだと思いましたが、今朝はどなたでしょうか? 同じ蜘蛛かどうか識別出来ませんけれど。
いずれにしても「朝の蜘蛛」は縁起がイイらしいので、そのまま受け止めます。人の訪れを予知するとも言われますが、その科学的根拠となると…。諸説あるようですが、「言い伝え」の域だと思います。
ちなみに「白い蛇」も縁起がイイらしいですね。今朝のラジオ英会話で偶然、取り上げていました。I saw a white snake in my yard yesterday.
「朝の蜘蛛」も、「白い蛇」も、「茶柱が立つと縁起がいい」と同様の「言い伝え」だと思いますが、自らを鼓舞するために使わさせて頂きます。
自分で自分を励ますこと、本当に大切ですから。


風切るリニア 体感 500㌔


八月三十日、金曜日。
蒸し暑くなかったですか。台風のせいでしょうか。涼しくなって寝つきやすいとばかり思っておりましたが、参りました。
朝刊を取りにいくと「風切るリニア 体感 500㌔」の文字が踊ってました。夢から現実へまた一歩前進したようです。記事を目にしつつ、26年前にしばしタイムスリップしました。


未来への責任


JR東海でリニア中央新幹線計画に携わったのは、26歳から31歳までの5年間です。今から26年前のことです。
当時、JR東海総合企画本部東京企画部というのが、旧国鉄本社丸の内ビル旧館の8F にありました。その東京企画部という部の中に計画という部署があり、そこでリニア中央新幹線の芽が育てられていました。当時の開業目標年次は2003年でした。まだまだ、夢の先の乗り物でした。
リニア中央新幹線計画を直接担当していたのは担当部長以下4名。その末席を汚しておりました。担当は、F/S (フィージビリティスタディ )というもので、いわゆる実行可能性調査、採算性調査です。雑用担当でもありました。「仕事のゴミ捨て箱」(2013.7.29ブログ参照)と呼ばれていたのは、まさにこの頃です。仕事のイロハから、仕上げ方までを叩き込まれたのもこの時期です。
仕事の目標として「次の世代、子供たちに何を残せるか、残さなければならないか」いわゆる「未来への責任」を意識し始めたのもこの頃です。リニア中央新幹線の現在の開業目標年次は2027年。あと14年です。その頃、66歳になっています。それまでには、自身の「未来への責任」を果たしていきたいと、改めて心に刻みました。


無農薬・無肥料でリンゴを実らせた男


六月二十日、木曜日。
雨は上がっています。雲はかなり多いですね。
台風はどうなったのでしょうか。
被害が発生しないことを祈ります。
心配です、気にかかります。
気にかかると言えば、木村秋則さん。
生き方、生き様、先日以来、気にかかっています。
「絶対不可能」を覆した農家。
農薬も肥料も使わずにリンゴを実らせた男。ずっと気にかかっています。
壮絶、過酷な人生。
苦しい時こそ笑顔を忘れない人生。
学ばせて頂いております。

追い込まれてからの気づき

2006年にNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に登場。
その時は何と無く見ていたような気がします。
農業界の風雲児、台風のような人、変わった人。そんな程度の認識で。
今、ひとりの人間として、生き方、生き様、それを支えた人々に大変興味があります。
対象がリンゴ、農業であるだけで、すべての道に通ずる教訓。
この人の人生には沢山あります。
無農薬に挑戦したキッカケが妻・美千子への愛情であったこと。
農薬散布期、寝込んでしまう妻。
苦しむ妻を思って、何とかしたい。
その思いから全てが始まった。
はじまりは愛。金ではない。
だからこそあきらめず、ここまで来れたのだ。
無農薬リンゴ栽培が上手くいかず、貧乏させている家族への思いとその現実。
周りの人の目、良くも悪くも村社会。
ギリギリのところへ追い込まれてからの気づき。
「リンゴの木の見える部分だけ、地上のことだけを考えていた。目に見えないリンゴの木の地下のことを考えていなかった」
「自然の中に、孤立して生きている命はない、リンゴの木はリンゴの木だけで生きているわけではない。周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。人間もそうなんだよ」
「ひとつのものに狂えば、いつか答えに巡り合う」
木村秋則さんの一言一言が、心に響いて来ます。