伴野豊公式サイト:サク・サケ・サカス

自らの手で一枚一枚心を込めて


十月十五日、水曜日。みなさん、おはようございます、ばんの豊です。朝はとりあえず晴れています。
本日から新しいポスターを貼り出します。新ポスター貼付活動初日ということもあり、今日一日、何とか雨が降らないことを願っております。
その前に本日も朝の太極拳に参加するために、東浦町森岡まで行って来ます!帰って来たらすぐに、新ポスターを貼りに出かけます。
自らの手で心を込めて一枚一枚丁寧に貼らせて頂きます。どこかで見かけられましたら、是非お声がけ下さいね。行って来ます!

この国の未来のために譲れない想いがある

新しいポスターのテーマは「この国の未来のために譲れない想いがある」です。

政権交代を実現していただいたにもかかわらず、 掲げた政策の多くを実現できなかった私たちは、 みなさまからいただいた信頼を失いました。

その結果、状況は政権交代前よりもむしろ悪化しています。

世界では様々な《格差》が拡大しています。 格差は拡がるだけでなく、固定化されようとしています。 金持ちの家に生まれた人と、そうでない家に生まれた人。 マイナスを押しつける地域と、押しつけられる地域。 戦を命ずる人と、命ぜられる人。 一握りの大富豪と、それ以外の貧困にあえぐ大多数が暮らす国。

流した汗や努力が報われない社会に、希望はあるのでしょうか。 一度失敗した私たちに厳しい見方があるのは承知しています。 それでも覚悟を持って、もう一度掲げたい、声高に叫びたい。 政治は「生活者」のためにあらねばならぬことを。

いま、日本には完全に赤信号が灯っています。 これ以上、権力を暴走させる訳にはまいりません。 日本を脱線させる訳にはいかないのです。

この国の未来のために、譲れない想いがあります。 ばんの豊は、この国の未来を担う子どもたちのために、 生きとし生けるもののの命を大切にする政治を実現するために、覚悟を持ってコトにあたります。


春らしい朝を迎えて

三月二十八日、金曜日。おはようございます!
春らしい朝です。もう毛布はいらないですね。靴下も履かなくても全く冷たくありません。
いい季節です。花粉を除けば。昨日からかなり眼が痒くなって来ました。たまりません。目薬を手放すことができません。
今週も早い。年度末でもあります。
さぁ、今日も元気に参りたいと思います。

一期一会と笑顔で


卒業、進学、就職、転勤、転職、退職、新築、引越し…。
春は、様々な機会により、沢山の「別れと出会い」が集中する季節でもあります。「会うは別れの始め」の言葉もあるように、「別れと出会い」はかなり混在同居しています。
今生の別れから、またすぐ明日にでも会える別れまで。辛さの度合いは違えども「別れ」はいつも物悲しいですね。「さよならだけが人生だ」井伏鱒二の言葉も浮かびます。
一方で「出会い」。多分、「別れ」の数以上に新たな「出会い」はあるはず。新しい教室、新しい職場、新しい街、新しい県、新しい国という方も。新しい出会いにはワクワク感の一方で慎重さも。インターネット上の出会いにはとりわけ慎重さが必要な昨今ですが、やはり「お付き合いの仕方次第」なんでしょうね。
いずれにしての常に誠実に「一期一会」の思いと笑顔で接したいものです。


身体の芯まで冷えますが…。


二月五日、水曜日。
今朝はかなり冷えますね。
昨日、アナウンサーが言ってた通り、立春を迎えてからの方が寒さが厳しく感じられます。
確かに今日は身体の芯まで冷えるっていう感じです。久しぶりにクシャミをしました。
しばらくは寒い日が続くのでしょうか。それとも、三寒四温なんでしょうかね。

三寒四温と三感四立

「三寒四温」という言葉は、もともと中国東北部や朝鮮半島北の冬の時期の寒さと暖かさの周期を表す言葉として日本に伝わったのですが、日本の冬にはそのような周期はなく、寒暖の周期がはっきり現れる春先に使うようになったそうです。
政治を志した初期の頃、この「三寒四温」をもじって「三感四立」という言葉を創作しました。「使命感」「信頼感」「責任感」を持って事に臨み、「国からの自立」など「日本人の四つの自立を目指す」という基本的な政治姿勢をその言葉に込めました。
あれからまもなく二十年。限りなき挑戦はまだまだ続きます。


薄い紫の空の朝に


十月二十二日、火曜日。
夜はゆっくり明けています。空は薄い紫色。雲の多い今朝の空です。
外の空気はヒンヤリ。昨日の暑さは何だったのかと思われます。台風27号はゆっくり北上しているらしいですね。困ったもんです。週末は気をつけなければ。
本日は、知多半島内での仕事となります。今日も一日頑張ります。

ホッとした瞬間、悪魔が現れた

やっちゃいました!大事な原稿を消してしまいました。やった瞬間、頭は真っ白。どこかに残っていないか、アガイテみるものの当然無理、徒労の時が流れる。
「あんた!何やってくれたの!」もう一人の私が、叫んではみるものの、あとの祭り。壁に物を投げたくなる衝動をグッと抑える。二日前に余裕をもって仕上げておいたのに。最後の最後で操作ミス。ホッとした瞬間、悪魔が現れた。

何でそうしたの?

「何でそうしたの?」また、もう一人の私が私を責める。絶対やってはいけない時に、やってしまうんですよね。あと少し操作して、送信すれば終わりだったんです。冷静に考えれば、いつも通りやれば、なんでもない、やるはずもない操作ミスをしてしまう。自分でも「どうして、そうしたの?」しかし、それが人間なんですね。ミス、事故、事件が起きてしまう時は、大抵そうしたもの。

無謬性(むびゅうせい)

「無謬性(むびゅうせい)」。「国や官僚はミスをしない、無謬である」なんてよく使われますが、人間はミスをする動物。ミスをしてはいけない時ほど、ミスってしまう動物。官僚も人間、国も人間の集まり。ミスをされると困りますが、残念ながらミスをしてしまう。「国や官僚はミスをしない、無謬である」とすること自体に、そもそも無理がある。「人間はミスをする動物、間違えてしまう動物」それを前提に、様々な仕組みを考えなければいけませんよね。
そんな事を改めて考えさせられる出来事でした。それにしても消えた原稿。「あー、悔しい!」